2011年08月
2011年08月29日
畳平から乗鞍岳剣ケ峰
乗鞍岳は30年以上前に、ドライブして畳平へ上がり、松本側に降りたことがある。
その時に散策して雷鳥を見たことを憶えている。 この猛暑続きで3025.6mの剣ケ峰まで涼みに行くのもいいかなと云うことになった。
28日(日)、7時25分ほうの木平発のシャトルバスに乗ることが出来た。快晴は期待してなかったが、バスから穂高の山並みがくっきりと望めたし、雲海も見下ろせた。
乗鞍エコーラインは、自転車の競技会が行われていて、こちらからはバスが上がって来ない。もの凄い数の自転車が川の流れの様に登って来るのが見下ろせた。
畳平からお花畑に降りて振り返ってみる、この時は晴天だった。畳平は白山と同じ標高です。
今日一番綺麗に撮れた写真が、畳平の建物の写真なのだ。すぐにガスが上がって来て、遠くは望めなくなってしまった。だんだんと登る人が増えて来る感じで、山頂は満員になる。だいたい皆さん写真を撮って下山となる。
肩の小屋の前、剣ケ峰口から望む剣ケ峰(左)
剣ケ峰直前の蚕玉(こだま)岳から 満員御礼の山頂
一等三角点
下っていると20人程のグループ二つとすれ違ったが、肩の小屋に着いたらその二つのグループを合わせた様な団体がやって来た。何と言ってもおばさんが多い。これでは山頂ではどうなることやら。
雷鳥の子供が5・6羽、登山道のすぐ脇でうろちょろしていた。
花は富士見岳の下の方でコマクサやトウヤクリンドウが多く見られた。
畳平から片道1時間半の山歩きでした。
富士見岳(2817m)山頂から畳平を見下ろす。
畳平で食べたかけ蕎麦は高かったし味もいまいちで、こう云う処では仕方がないことか。
帰りのシャトルバスも満員になって次のバスまで30分待たされた。
往復のバス代は大人一人2200円也
* * * * * * * * *
今日は少し時間に余裕があるので、もう一カ所寄る処があった。
白山スーパー林道への手前、馬狩で今度歩いてみたい峠への入り口を確かめたかった。
聞いていた林道へ入り、林の中を覗いてリボンなどを探して林道を歩いた。
やがてそれらしい荒れた道が、林道脇の林の中を緩やかに登っているのを見つけた。
涼しくなったら歩いてみたいと思っている。
その時に散策して雷鳥を見たことを憶えている。 この猛暑続きで3025.6mの剣ケ峰まで涼みに行くのもいいかなと云うことになった。
28日(日)、7時25分ほうの木平発のシャトルバスに乗ることが出来た。快晴は期待してなかったが、バスから穂高の山並みがくっきりと望めたし、雲海も見下ろせた。
乗鞍エコーラインは、自転車の競技会が行われていて、こちらからはバスが上がって来ない。もの凄い数の自転車が川の流れの様に登って来るのが見下ろせた。
畳平からお花畑に降りて振り返ってみる、この時は晴天だった。畳平は白山と同じ標高です。
今日一番綺麗に撮れた写真が、畳平の建物の写真なのだ。すぐにガスが上がって来て、遠くは望めなくなってしまった。だんだんと登る人が増えて来る感じで、山頂は満員になる。だいたい皆さん写真を撮って下山となる。
肩の小屋の前、剣ケ峰口から望む剣ケ峰(左)
剣ケ峰直前の蚕玉(こだま)岳から 満員御礼の山頂
一等三角点
下っていると20人程のグループ二つとすれ違ったが、肩の小屋に着いたらその二つのグループを合わせた様な団体がやって来た。何と言ってもおばさんが多い。これでは山頂ではどうなることやら。
雷鳥の子供が5・6羽、登山道のすぐ脇でうろちょろしていた。
花は富士見岳の下の方でコマクサやトウヤクリンドウが多く見られた。
畳平から片道1時間半の山歩きでした。
富士見岳(2817m)山頂から畳平を見下ろす。
畳平で食べたかけ蕎麦は高かったし味もいまいちで、こう云う処では仕方がないことか。
帰りのシャトルバスも満員になって次のバスまで30分待たされた。
往復のバス代は大人一人2200円也
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今日は少し時間に余裕があるので、もう一カ所寄る処があった。
白山スーパー林道への手前、馬狩で今度歩いてみたい峠への入り口を確かめたかった。
聞いていた林道へ入り、林の中を覗いてリボンなどを探して林道を歩いた。
やがてそれらしい荒れた道が、林道脇の林の中を緩やかに登っているのを見つけた。
涼しくなったら歩いてみたいと思っている。
2011年08月26日
2011年08月24日
若州一滴文庫と常高院墓所など
水上勉氏が設立した おおい町の若州一滴文庫で、地元の画家で水上勉氏の本の装丁などを手掛けられた渡辺淳氏の絵画展が開かれている。渡辺さん宅には一度アトリエにお伺いして、いろいろとお話をお伺いしているので、今回、本に小さく印刷された物ではなく、是非実物を見たいと思った。
それでカミさんと出掛けた。 炭窯を題材にしたものが多いが、私はそれにランプを描いたものが好きだ。ランプの燈に舞う蛾、その雰囲気が何とも言えない。
私は、1983年に竹紙に描かれた「ランプの詩」の原画を見たかったが、これは竹紙に描いたので小さな物かも知れない。今回は見ることが出来なかった。
若州一滴文庫入り口
若州一滴文庫入り口
若州一滴文庫は初めてなので、水上勉氏の沢山の資料に接することが出来た。この施設の案内のビデオを最初に見せて貰ったが、その中で水上氏が、貧乏の家に生まれて幸せだった、自分がここまでなれたのは子供の頃の貧乏のおかげだ、と云う意味のことを述べられている。
こういう人に言われると説得力があるが、反面、成功した人にしか言えない言葉かもしれない。
その施設の中の六角堂というお休み処で、「かけ蕎麦」を食べて、人形館を見てから駐車場に出たら観光バスが沢山の人を乗せて到着した。
入場料は一人300円で、70歳以上は無料だった様な気がしたが、窓口にはその様なことは書いてなくて、言われるままにお金を払ったが、帰る道すがら思い出したのだ。若く見られたのか?
* * * * * *
それから青戸大橋を渡って赤碓岬までドライブして海を眺めながら休憩した。カミさんも私も青戸大橋を渡ったのは初めてなのだ。
それから27号線を引き返して、今年話題の小浜の常高寺へ。観光バス2台で賑わっていて、受け付けがもたもたしていたので、常高院墓所へ行って写真を撮った。
結局、二人だと800円もするので、寺の中へは入らずに遠敷の県立若狭歴史民俗資料館へ向かった。
ここは入館無料で、特設コーナーで「京極高次と初」が見られたのだ。
詳しい資料も貰えて、とても勉強になった。有意義な一日だった。
入場料は一人300円で、70歳以上は無料だった様な気がしたが、窓口にはその様なことは書いてなくて、言われるままにお金を払ったが、帰る道すがら思い出したのだ。若く見られたのか?
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それから青戸大橋を渡って赤碓岬までドライブして海を眺めながら休憩した。カミさんも私も青戸大橋を渡ったのは初めてなのだ。
それから27号線を引き返して、今年話題の小浜の常高寺へ。観光バス2台で賑わっていて、受け付けがもたもたしていたので、常高院墓所へ行って写真を撮った。
結局、二人だと800円もするので、寺の中へは入らずに遠敷の県立若狭歴史民俗資料館へ向かった。
ここは入館無料で、特設コーナーで「京極高次と初」が見られたのだ。
詳しい資料も貰えて、とても勉強になった。有意義な一日だった。
2011年08月23日
健森のことなど
昨日は何日かぶりに健康の森でスロージョギングをした。
出掛けようとしたら一時強い雨が降って、4・50分止むのを待って出掛けたので、400mトラックは一部水溜まりが出来ていた。
走っていたら、普通の服装をした細身の爺さんが、ジョギングコース等の看板を見ていた。暫くしてその傍を通り掛ったら、私の方を向いて「お兄さん、マイペースだけどようがんばっとられる、それで好いのんじゃ」と声を掛けてくれたのだ。「お兄さん」なのである。
そう言われるとすぐに止める訳にもいかない。頑張って走っていると、凄く格好の好い若い女性が走り出したのだ。お尻からぴちっとした黒いタイツと云うのか、その脚がすらっとしてて目が釘付けになってしまう。
その走り方も安定していて格好いい。
私の倍近いスピードで軽やかに走っていた。私は追い抜かれるだけで後ろ姿しか見ていないが、それはそれでいいのではないか。おかげで今日は1時間も走ってしまった。
* * * * * *
あれこれ助けも借りて、ノートパソコンも快調に動作する様になったみたいだ。朝からいじくりまわしていたのだが、急にやることが無くなってヒマになった感じがする。
このところ天候が不安定で、次の山や峠歩きが決行出来ないでうずうずしている状況だ。
昨日は韓国からskypeで連絡があり孫の顔を見ることが出来た。 韓国の日本人学校は、昨日 22日(月)から新学期が始まったそうだ。
出掛けようとしたら一時強い雨が降って、4・50分止むのを待って出掛けたので、400mトラックは一部水溜まりが出来ていた。
走っていたら、普通の服装をした細身の爺さんが、ジョギングコース等の看板を見ていた。暫くしてその傍を通り掛ったら、私の方を向いて「お兄さん、マイペースだけどようがんばっとられる、それで好いのんじゃ」と声を掛けてくれたのだ。「お兄さん」なのである。
そう言われるとすぐに止める訳にもいかない。頑張って走っていると、凄く格好の好い若い女性が走り出したのだ。お尻からぴちっとした黒いタイツと云うのか、その脚がすらっとしてて目が釘付けになってしまう。
その走り方も安定していて格好いい。
私の倍近いスピードで軽やかに走っていた。私は追い抜かれるだけで後ろ姿しか見ていないが、それはそれでいいのではないか。おかげで今日は1時間も走ってしまった。
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あれこれ助けも借りて、ノートパソコンも快調に動作する様になったみたいだ。朝からいじくりまわしていたのだが、急にやることが無くなってヒマになった感じがする。
このところ天候が不安定で、次の山や峠歩きが決行出来ないでうずうずしている状況だ。
昨日は韓国からskypeで連絡があり孫の顔を見ることが出来た。 韓国の日本人学校は、昨日 22日(月)から新学期が始まったそうだ。
2011年08月21日
恒例の夏祭り
幸いに雨は朝までにあがって、10時前には子供神輿が町内を巡回する賑やかな声や爆竹の音が聴こえてきました。これが終わると町内の方々、子供や大人みなさんが裏通りのテントに集まって、ワイワイと飲んだり食ったりするのです。
そして酔いも回って適当な時間が過ぎると、恒例のビンゴゲームで〆となる。安い日用品や子供にはオモチャが当たるのだが、これはいつも盛り上がりを見せて終わるのである。
この町内もいっとき高齢化が進んだが、今日の様子を見ると、小さい子と若い奥さんが沢山いて賑やかになったと思う。結構なことだ。
今年の町内会の会長の奥さんが、今日のために沢山の煮豆や里芋の煮っころがし、こんにゃくの煮た物等々を作ってくれて、これが美味しかった。日本の古里の味という感じだった。
焼き鳥屋が出張して焼いてくれたのだが、出掛けるのが遅かったのか数本しか当たらなかった。今年は集まる人数が多かったのかも知れない。
でも、夜は連合町内会が小学校のグランドでイベントを行い、そこで食べる焼き鳥を予約してあるので、そうガツガツすることはないのだ。
イベントの最後にお楽しみ抽選があって、特等は液晶テレビとなっている。しかし、特等は1本だけで、一等以下には欲しそうな物が無いのがどうせ当たらないにしても物足らない気がするのだ。
2011年08月20日
涼しくてパソコンも動いてます
急に涼しくなってパソコンも動いています。もっとも少し机から浮かせて、後ろから扇風機で風を当てています。
考えてみるに、CPUなどが熱くなり過ぎて壊れるのを防ぐために、防護回路が働いてシャットダウンとなったのかも知れません。
何しろ我が家は室温が36度にもなっても冷房しないのですから、パソコンの裏をはぐってみたら触れないくらい熱くなっていたのです。
で現在は扇風機の風がパソコンを冷やすだけでなく、私も冷やして寒いくらいなのです。
昔、米国製のミニコンのメンテナンスをしていた時に、確保しておいた交換済みの古い冷却用のファンを見つけてパソコンの後ろで廻してみました。暫らく廻してみましたが、風量はあってもやや音がうるさいので実用的ではない様です。11cm角で大きさとしてはちょうど良かったのですが。
カミさんは冷房も入れず、あちこちのコンセントを引っこ抜いて、今度の電力使用量の検針で、どのくらい減ったかが楽しみだと言っています。パソコンが完全に壊れたらそれどころではないんですがね。
急に涼しくなってオシッコに行く回数が増えましたし、昨夜は久し振りに夢でトイレで立ちションしている場面が出てきました。慌てて起きてトイレに行きました。 何故か夢に出て来るトイレは、足の置き場に苦労する様な、汚れたところなんです。
小さい子供の頃でしたらお寝ショで目が覚めるところですが、歳をとったらどうなるのでしょうかね。
2011年08月17日
ついにパソコンがダウン
このところズーッと調子の悪いノートパソコン(Vista)だが、今日は朝から立ち上げたらウイルスセキュリティがおかしいと出た。立ち上げ直したらブルースクリーンでシャットダウン。ついに立ち上がらなくなってしまった。
電源を入れると間もなくプツンと云って終わりだ。ときには立ち上がったかに見えてからプツンと終わるのだ。
でも、一応立ち上がるということは、ソフトは機能している。電子機器のメンテナンスの経験から、これは熱の為ではないかと考えた。
それでマシン裏面の風穴の埃を取ったり、暫く使わずに裏面が風に当たるようにしておいた。
その後通電したら正常に立ち上がって、鎌倉の息子のところからEvernoteに送られてきた孫達の写真を見ることが出来た。
熱くならないうちにと思って終わりにしたが、やっと正常に終了したという感じだ。
このところ治る見込みのない不具合は、立ち上げてから最初のメールの受信が、タイムアウトみたいになって、「対話型サービスダイアログ」とかが現れる。
それをいじると原因と思われる内容も表示されるが、専門家でないと理解できず、最終的には「表示する」をクリックすると、もう2ステップばかりでメールが受信出来るようになる。
その後は大丈夫なので、立ち上げた時にメールが来ていないときは、自分宛にメールを送り、わざと「対話型サービスダイアログ」を出るようにして、その後のメールを正常に受信出来るようにするのだ。
こんなこともあって、このパソコンは立ち上げにえらく時間がかかるのだ。それでも使えればいいのだが。
この後どうなるかだ。
(この文は、古いXPマシンでアップしました)
2011年08月16日
お盆でカミさんの実家へ
カミさんの実家へは、年に2回は行くことになっている。正月とお盆だ。
お盆は墓参りということになっているが、カミさんのご先祖さんには申し訳ないのだが、ほんの形式だけで、飲んだり食ったりが目的なのだ。
飲みながら孫のことや、カミさんを始め、みなさんが子供だった頃の、この海辺の集落の懐かしい様子などが話されるのだ。 下の写真の、この辺りではシタジャミと呼ばれる小さい巻貝の一種も、昔は簡単に採れたそうだ。
ウニやアワビも沢山採れたそうだが、今は全然採れず、シタジャミも今は潜らないと採れなくなった。
針でつっついて取り出しながら食べるのがいいらしい。 ボールの中は殻、お皿がむき身です。
近くの料理旅館もやっている仕出し屋から、大盛りの刺身やエビのフライなどが届いて、宴会の始まりとなる。
今日は実家の嫁さんが、美味しい冷酒を用意してくれていた。いつもながら手造りの料理も美味しい。
カミさんの95歳のお袋さんは、週2回のリハビリと食事の管理のおかげでスマートになり、足腰の負担が減って歩くのがしっかりしていた。食欲も旺盛で、食べ過ぎない様に気を使っているとのことだ。
これなら100歳過ぎまで大丈夫そうだ。
2011年08月13日
能登でやっと布団をしまう
一ヶ月半振りで能登へ、何ヶ月も前から小屋の布団を干して、圧縮袋に仕舞おうと思っていたのが、やっと今日完了した。 特別 快晴という訳ではなかったが、雨は朝ほんのちょっとぱらついただけだったので、布団類はフワフワに干すことが出来た。
安い圧縮袋のためと思うが、掃除機で空気を抜いて密閉するけど、シューシユーと空気が吸い込まれる音がする。これを防ぐのがなかなか難しい。汗だくになってやっと全部が終了して狭い押入れに仕舞う事が出来た。
どうせ暫らくすれば、みんな膨らんでしまうのだろう。
終わってすぐにシャワーを浴びた。冷たいビールをグイッと飲みたいところだが、まだ4時ではちと早すぎる。
今飲むと、食事のときにまた飲むことになってしまうのだ。
山小屋も朝晩は涼しいが、日中は風が無いとどうにもならない。 たよりは天井のシーリングファンだけなのだが、これもほんとに暑い時はあまり役に立たない。 まあほんとに暑いのはそう長くは続かないでしょうけど。
* * * * * * * *
夕食が済んで片付けていたら、久し振りに鎌倉から電話がきた。
今日の東京新聞旗杯学童野球神奈川県大会(だと思います)一回戦で、孫の所属するチームは負けてしまったので、これでしばし野球は夏休みとなる様子だ。15日(月)は嫁さんの実家にお墓参りに行くとのことだった。
息子は電力事情のためか、土日が出勤となっているそうだ。 まあみんな元気とのことで安心した。
2011年08月11日
健康の森の銀杏
今朝は久し振りに、時々小雨がぱらつく中を健康の森を散歩してきた。
いつも夕方見かけるBMWの高齢のご夫婦がいらっしゃった。朝も散歩されている様子だ。
健康の森の銀杏の並木には、毎年 季節の移り変わりを感じてきました。
今また、銀杏(イチョウ)の木は沢山の銀杏(ギンナン)を付けています。こういうのを鈴なりと云うのでしょうか。
このまま採って食べてみたくなるような実ですが、誰か試してみた方はいるのか、知りたいところです。
銀杏はイチョウともギンナンとも読むのですが、ギンナンは判るとしてもイチョウは難しいです。
でもちゃんとした言われが、何処かに書かれていたのを読んだことがあります。忘れましたが。
2011年08月09日
徳本(とくごう)峠
北陸の峠道からはちょっと外れるが、この峠は別格だ。
昔、島々宿から徳本峠を越えて上高地へ入る道は、多くの人達に利用され重要な役割を果たした。
英国宣教師ウオルター・ウエストン等々、詳しくは、徳本峠小屋「峠の宿」公式ホームページの峠の歴史に述べられています。
当然ながら島々宿から峠を越えて上高地を目指したいのですが、そこは体力と金力とに相談してということになります。
で、小屋泊まりはちょっとと云うことで、車中泊をすることに、それで上高地からゆったりと時間を掛けて徳本峠のみを往復することになりました。
上高地バスターミナル 月曜朝7時頃の風景です。
朝もコーヒーを沸かして飲んだりしてゆっくりです。あかんだな駐車場から、朝6時20分のバスに乗りました。
バス賃は一人往復2千円、7時頃に上高地バスターミナルから歩きだしました。
すぐに河童橋で、人が少ない内にと写真を撮りました。昨日日曜日は一時豪雨に見舞われたそうです。今日も山並みの頂きは雲が多い様子です。
河童橋の上で
明神で休憩して徳本峠分岐まで1時間弱です。広い平らな道は木の橋まで続き、橋の手前には小屋の方のものと思われる車がありました。やがてまた木橋があり、山道らしく登りになります。
2番目の木の橋 道は山道らしくなり登りに
ほんの少し沢の端を歩いたり、沢を横切ったりして行くと傾斜も急になり、何回もジグザグに登って行きます。
最後の水場から17回ほどのカーブの登りとかですので、その手前にも沢山ありましたから何十回にもなるのでしょう。
でもそのおかげで、割と楽に登られる訳です。2時間15分程で徳本峠(標高2135m)へ到着、標高差600mを登ったことになります。
我々を追い抜いて先に着いていたご夫婦は、今日はここに泊まって、明日霞沢岳へ登るらしい。また今日霞沢岳に登っている友人が降りて来るのを待っているという方もいらっしゃった。ヒマそうでした。
我々は貝の缶詰でビールを飲んで、その間アルファ米の赤飯にお湯を入れて出来あがりを待ちました。今日は時間がありますので試しに持って来たのですが、いい値段がしますし、我々の山歩きには不向きみたいです。
でも、粉末の味噌汁で食べた赤飯はなかなかなものです。もう少しゴマ塩が欲しい感じでした。
締めにコーヒーを飲んで峠の写真を撮っていい時間になりました。雲が多く、眺望が全くダメなのが残念でしたが、私はここまで歩いて来られただけで満足です。
静かな疎林の中の峠道
下りは楽です。今晩は小屋泊まりと思われる方々が、単独の方とご夫婦が2組、登られてきました。
分岐まで降りて今日初めて、明神岳の尖った頂きが見えました。
月曜日の午後だというのに、続々と明神から奥へ大きなザックを担いだ人達が続きます。河童橋周辺は人で溢れかえっていました。
徳本峠への分岐の処の橋からの明神岳
すぐバスの行列に並びましたが、1台目は我々の前の人で満車となり、30分待たされました。
平湯で温泉に浸かり、車中泊場所に移動しました。明日また乗鞍に行こうと思っていたのですが、車中泊は慣れていないので疲れますし、暫らく休んで帰ることになりました。
歩いた距離は往復で15kmほど、掛った時間は5時間半プラス昼の休憩時間です。
2万5千分の1地図「上高地」
至る この先15分程で明神へ
地図閲覧サービス 「ウオッちず」を使用しています。
おばあちゃんは元気ですよ。
2011年08月06日
節電
今、午後3時を過ぎたところ、室内の気温は35度5分だ。
扇風機一つで我慢している。まあ、今のところ朝晩は涼しいので身体も回復するが、これで熱帯夜が続いたら身体は持たない。
いつカミさんはクーラーを入れる気になるのか?
それで先程、氷菓子を食べたところだ。冷凍庫の扉を開けて、どれにしようかと選んでいたら、カミさんが早く扉を閉めろとうるさい。すぐに冷気が奪われてしまうのだからと口やかましい。
このところ、やたらコンセントがひっこ抜かれていて、夜中に目が覚めてベッドから手を伸ばしてスタンドを点灯しようとしたら反応がない。困ったことである。
電気代が先月とどう変化するか較べようというのだから厄介なことなのだ。
昨年、電力会社との契約アンペアを、50Aから30Aにしてしまい、孫達が来たときに、やたらブレーカーが飛んで往生した。
この夏休みに、ここへ来るのだったら暑いのを覚悟して来て貰わねばならないのである。
それにしても蝉がよく鳴いている。ヒグラシの声も聞こえ始めた。
最近の子供達は、カブトムシやクワガタに興味はあっても、セミにはあまり関心はないらしい。
ムシキングにはセミは出てこないのだろう。